興味のあること

 

音楽を聴きコンサートを観て楽しむことと、アイドルを追いかけるのは、少し違う気がする。自分は何を楽しんでいるのか、少し考えてみた。

 

単館系の映画をよく見ていた時期があった。小さな映画館の受付ボランティアをしてみたりもした。コロナで映画館の経営が厳しいというニュースを聞くと、その小さな映画館が無くなってほしくなかったので、少額の寄付をした。

 

コロナのために、色々なものがオンラインで見られるようになり、ロックフェスがYouTubeで生中継されたのを自宅で見ていた。あまりにも楽しくて満喫したので、お金を払いたくなった。

 

何かのサービスを受けるためには、人手やお金がかかっていると思うと、それ相応の金額を支払いたくなってしまうのは、私の性格上のクセのようだ。そのサービスを提供している人が、受け取るべきものを奪ってはいけない、という気持ちになるのかもしれない。

 

音楽を聴く時には、CDを買うか、オンラインで音楽を聴くことの出来るサービスに料金を支払って聴いているし、コンサートで直にその人の歌やパフォーマンスに触れたくなったら、チケットを買って行く。

 

 

 

それで、アイドルというジャンルの人たちが提供するサービスを受ける時にも、それ相応の料金を支払うべきだと考えるのだけど、ちょっと文化が独特で、やっぱり戸惑う。私は何の料金を払ったんだろうか、と考えたりした。

 

「1位になってほしい」というよりは、「実績を残して、次回作も良い音楽を聴かせてほしい」という気持ちだと、自分では思っているけれど違うのかもしれない。

 

 

 

それから、「有名人の孤独」みたいなことにも興味がある。

絶対に知ることの出来ない「他人の心」ではあるのだけど。

音楽、パフォーマンス、人、服、髪型、体型、宣伝方法、インタビューの回答、どこまで見せるのか、そうやって選んだもの全てで、自分を表現するなら、ちょっと分かりそうな気がしてくるから。

 

本当に、私もセクシーダンスに「キャー」と喜べるような楽しい応援が出来る人ならどんなに良かったか、と思ったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大人になるって

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大人になると、お金を払えば大体どこにでも行けるな、ということが分かった。手が震える程迷ったあげく、決めた2時間後に飛行機に乗っていた。

 

 

私はどうやら、満足すると特に言うことがなくなるみたいだ。

昨日見たコンサートは、本当に最高に幸せなエンターテイメントだった。

 

 

 

1曲目から表情に強張りはなかったし、余計なことは考えず、歌を聴くことが出来た。

 

私がコンサートに行く醍醐味は、姿が見れるのはもちろん嬉しいけど、ライブならではの歌声(もしくは演奏)なんだと思う。口から音源のような綺麗な声が出てくるのは確かにすごいけど、ライブの楽しさは少し違う気がする。CDとは違う上手さを聴けることが嬉しくて、何度も行くのだと思う。その日にしか聴けないものと、空気を感じたくて。

 

昨日のコンサートでは、何曲かCDより低い音程で歌ったり、違うメロディで歌ったりするところがあって、すごく良かった。長時間歌うことは出来ない人なのかと余計な心配をしていたけど、余計な心配だった。(すごく声が出ていた)

 

あとは、とてもプロフェッショナルなアイドルだった。1階スタンドから、センターステージの盛り上がりを見ていたら、本当にとても楽しい「ショー」だった。絶妙にセクシーに、絶妙に甘いトークで、私たちを楽しませてくれていた。そして本人もとても満足そうに見えた。

 

やっぱり1番好きだったのは、バラードセクションで、もらい泣きじゃなくて、歌が良くて涙が出そうだった。「always」と「shine on you」がとても好き。

 

言うことがない、と言いつつ色々言っているけれど、私の余計な心配の旅は本当に終わったな、と思ってただただ満足した。あの夏のコンサートしか知らない姉に、今の声を聞かせてあげたい。二人で微妙な感想を言い合って帰ってきた、あの夏のコンサートのリベンジをいつかしてほしい。

 

あー本当に、ただただ「すごい」と思っている。

 

自分の世界観をしっかり表現していることも、少しずつ着実に自分で決めている感じも、歌が上手くなっていることも、自分らしいトークで盛り上げるテクニックも、ガッツリ痩せて大人の魅力を振りまくところも、受け取る人が喜ぶ方法を追求する姿勢も、きちんとハートを込めているのが伝わってくることも。

 

もう、心配とかしている場合じゃない。「これを見せたい」というものを、ちゃんと見せてもらったと思うから。こういうのを見ると、ただただ「すごい良かった~」と言って、自分も頑張ろう、となぜか思う。

 

 

 

思い出したこと


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ある歌を聴いて感じている、自分の気持ちを表すしっくりくる言葉が思いつかなくて、モヤモヤしている。多分、沢山のことを思い過ぎていて簡潔に説明出来ない。

 

それで、思いついたことをメモしてみたりしているのだけど、その歌のMVを見ていたら、2018年2月17日のコンサートを思い出した。

 

どうしても見たくて一人で行って、誰かと共有出来ない思いをSNSに呟いた、その時の自分の感想を、思い出した。

 

 

 

 

曲もダンスもとてもかっこ良かった。

良いグループだと思った。

個性的で魅力的。

でも、あまりにも痛々しくて、拷問のようで、早く帰してあげたい、と思った。

でも貴重な時間だった。

全ては、なるようにしかならないし、なるようになっていくのでしょう。

 

 

 

 

 

月日は流れていって、こんな日が来るんだね。

5年経ったんだね、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は見たいものを見る

 

コンサートをオンラインで見た。

 

その人のコンサートを前に見た時、とても複雑な感想を抱いた。アイドルのコンサートなんだな、と思った。とても緊張していて、声がよく出なくて、ステージで泣いてしまう人だったので、どうやって見たらいいんだろうか、と思った。

 

その人の歌がとても好きだったので、何となく、歌手でいてほしい気持ちがあって。とても上手く歌ったように調整された映像も、どうなのかな、と思った。

 

ただ、やっぱり彼じゃなくちゃ歌えない曲があるし、ありのままを見せようとする人間臭さと温かさは、どうしてか目が離せなくなる魅力があって、彼を囲む人たちが、きっと彼のことが大好きなんだな、というのはよく分かったし、私もそのコンサートが大好きになった。

 

でも、これからどういうコンサートを目指すんだろうか、と思ってた。

 

 

 

 

 

今日は、踊る曲と新曲は歌わないことに多分していたと思う。ニコニコ楽しそうに踊る姿は「アイドル」で、曲自体もすごく良かったし、楽しかった。

 

生歌でしっかりと聴かせるところは、顔が違った。とても痩せてしまって、私には、もはやかっこいいのかどうかよくわからない程だったけど、歌を聴きながら、前に見たレコーディングビハインドを思い出した。歌に没入している姿は、スッピンでレコーディングしていた時と同じかっこよさだった。音源のように完璧じゃない声が、とても素敵だった。これを聴くと、何度でも彼の歌を聴きたくなる。

 

ピアノとギターのコーナーでは、伴奏する人とのコミュニケーションも、彼の温かでチャーミングな人となりを感じて、とても素敵だったし、会場から返ってくる歓声に嬉しそうにしている顔は、見ている私も嬉しくなった。

 

途中で歌詞を間違えた曲があったのだけど、その曲がすごく良かった。CDのように完璧に歌おうとしない歌が、すごくかっこ良かったから。前回の私が見たかったのは、多分これだった。

 

アンコールで歌われた新曲がとても良かった。

きっと、本当に歌いたい歌を選んだんだろうと思う。心のままに、自由に体で表現する姿は「演技者」にも見えたし、堂々としていて素敵だった。曲調や歌詞のメッセージから、彼の優しさが伝わってくる感じがした。もっと神々しい曲なのかとイメージしていたのだけど、彼は私がイメージしていたより、優しくて素直な表現をする人なんだと思った。この歌がとても好きだから、良い結果になってほしいけど、こういう歌はコアなファンじゃない人には、どうとらえられるんだろうか。

 

歌ったり歌わなかったり、声を張ったり張らなかったりしながら、時々言うことを聞かなそうな喉で、最後まで素敵な声を笑顔で聴かせてくれて、本当に幸せな気持ちになった。すごく魅力的な歌手だった。

 

自分で「自由に表現したかったから、振り付けを変えた」と言っていたけれど、本当に彼には「自由な表現」が似合うと思った。心が思う通りに歌って、心が思う通りに踊ったり踊らなかったりしてほしい。自然に湧き出るものを表現する自由さが、もっと彼を輝かせる感じがしたから。

 

あー、なんて幸せなものを見たんだろう、ということを言いたかった。

 

 

 

センシティブ過ぎる人


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新曲のプロモーションを始めた芸能人の姿を久しぶりに見たら、ゲッソリ痩せて老けていた。雰囲気が変わっていて一瞬ゾッとしたのだけど、大人になったんだな、と思った。

 

いつまでも若い、みたいなのはあまり良いことと思えないし魅力的でもないと思う。年相応に老けて変化していくことが自然だし、どうやって(どういう思いをして)生きてきたかは、表情に現れるからこそ魅力的なのだと思う。

 

それで、話している声や仕草や表情を見ていたら、悲哀とか覚悟とか達観とか慈愛とか、消耗してる感じとか、彼が持っていそうだと私がイメージするものが、外見からも自然に滲んでいて(そんな気がして)、何だか素敵だと思った。

 

いつもキラキラしているのに、歌や表情から繊細さが溢れ出しているのを聴いたり見たりするのがなかなかしんどくなっていたのだけど、こんなに覚悟の決まった人が歌ってると思うと、また楽に歌が聴けるようになった。本当に、ファンとは勝手なもので、それが面白いと思う。

 

それにしても痩せ過ぎな感じがするし、意図的なものなのか、心労で思ったより痩せちゃったのか分からないけど、多分表現をする人としては魅力が増したと思った。

 

もし家族だったら心配な気持ちになってしまうかもしれない。でも、自分のやりたかったことに没頭している感じがするから、健康とかはもう知らないけど、すごくいい雰囲気の人になったね、と感動したってことなんだと思う。

 

 

何だかよく分からない私のファンとしての心の動きを綴っておきたくて書いておく。

 

 

ある男

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確かに人は多面的なんだと思う。そんな自分も、こんな自分も、どれも本当の自分ではある。

 

ブログを書き始めたのは、いよいよ自分を変えなきゃ生きるのが困難だな、と思った時に通っていたカウンセラーに軽くお勧めされたからだった。

 

SNSで、沢山の人の発言や文章を読んでいると、同じものを見ていても、人によって受け取るものが違っていて驚く。それは、人それぞれ全く違う生き方をしてきたからなんだろうな、と思う。

 

この夏、義務のように芸能人の活動をずっと追いかけていたら、少し苦しくなってしまった。同じ芸能人を見ていたはずなのに、SNSにはファンの喜びや幸せや感謝や賞賛が溢れていて、自分の気持ちのやり場に困る。

 

多分、ファンの中には私と同じように、彼の中の苦しみを感じ取っている人が少なくない。でも、大人のファンたちは、見るべきではないものは発信せず、静かに見守っているのだと思った。韓国の芸能人がファンに向かって「愛してます」というのが好きじゃないのだけど、この視点で彼を見つめるファンの気持ちは、愛なんじゃないかな、と思って見ている。彼女たちの冷静さを、ちょっと尊敬してしまうほど。

 

 

 

 

彼の活動をずっと見ていたら、私には彼の苦しみや心細さや健気さが透けて見えてきて、全く楽しくなくなった。多分、彼が発信する情報量の多さが、そういう気持ちにさせるのだと思う。彼は自分の気持ちが全然隠せないほどに素直な人だろうし、そして、その悲しみや苦しみは、隠せないほどに大きいのだと思う。

 

私と似た視点で人を見ていることの多い友だちは、彼のことを「目が1ミリも笑ってない」「(彼の心が大丈夫じゃないことは、顔を)見ればわかる」と言う。そして、彼を応援するのは、かなり重い内容のドキュメンタリー番組を見ているようなものだと思うよ、と言われた。私も実はそう思う。

 

そんな背景を知らなくても、彼らの音楽は素敵だし、私の生活を彩ってくれる一つであるのだけど、ドキュメンタリーと共に提供される一曲一曲は、胸に迫って、感動とはちょっと違う不思議な気持ちにさせるのだ。本当に、親族でもないのに、何なんだろうか、この身内感は。

 

 

 

 

 

そんなことを考えあぐねていた時、ある動画を見た。彼がトロッコに乗って、ファンの間を歌いながら進んで行くと、一万人ほどの人たちが、彼の動きに合わせて波打っていた。あ、彼は大スターだったんだった、と思った。うっかり身内感を感じてしまったが、世界中でファンを喜ばせるスターだったんだった。そう思うと、少し冷静になれた。危なかった…

 

 

きっと、彼は苦しみを抱えて生きる人でもあり、歌うことに幸せを感じる人でもあり、ファンの存在に励まされもするし、悩んだりもするんだろうと想像する。当たり前だけど、人は多面的なものだと思うし、何より、私が悩むべきことではない。

 

でも、社会で苦しむ人を描いたドキュメンタリーを見ることが出来ないタイプの私は、彼の歌を聴く度に、やっぱり苦しくなると思う。

 

 

 

 

君は私の春


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キム・ドンウクとソ・ヒョンジンの「君は私の春」を観た。

 

自分の苦しみはさておき、親の苦しみを救えなかった自分に罪悪感を抱きながらも、そんな現実を受け入れつつ受け流しつつ生きる人たち。

 

トラウマの告白は、普段蓋をした感情が溢れ出すから受け止める人がいないと出来ないし、感情を抑える訓練を普段からしているだろうから、どこか冷静に客観的に自分を見る自分もいると思う。

 

キム・ドンウクの落ち着いた話し方や悲しそうな佇まいが良かった。

ソ・ヒョンジンの涙の演技もすごくうまかった。

 

コメディも涙も何でも上手な俳優さんが素敵だったのに、話がどんどんつまらなくなってきて、つまらないまま終わって驚いた。