君たちはどう生きるか


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私は感覚と雰囲気と好き嫌いみたいなもので生きている。それで、少し過剰な共感と感情移入をしがちだ。

 

この映画を観た時、ストーリーや解釈というよりは、監督の年齢や今までの作品、インタビュー等を思い出して、冒頭から涙が出そうになってしまった。

 

私は感覚で生きているので、「それを観て自分がどう感じたか」しか分からない。

 

それで言うと、この映画を観て感じたことは、「監督は自分のことを語っているんだな」ということと、「お母さんを失ったことで、とても傷付いたんだな」ということと、「手足を動かして生きる力をつけてほしいんだな」ということと、「お母さんみたいな強くて美しい女性が好きなんだな」ということと、「自分たちはもうすぐ死んでいなくなるから、と思っているんだな」ということで、「思い」に圧倒されてずっと泣きそうになっていた。

 

 

最近「共感」と「感情移入」との違いについて時々考える。私は優しいようでいて、人の感情に共感出来ないことが多い。何というか、一人で孤独に耐えているような人は助けなければいけないと思うけれど、その人の側にすでに助ける人がいたら、途端に興味を失う。興味を失うというか、「私が考えなくてもいいことだ」と思う。

 

だから、本当は人にそんなに感情移入しない。その歌手に感情移入するのは「二次元だからでしょ」と友人に言われた。

 

その人の本当の感情は、その人にしか分からない。(もしくはその人にすら分からない)

その人に対して抱く感情は、自分の経験や感覚によって様々で、何が正解なのかは本当にその人にしか分からないのだけど、やっぱり私は私の感覚を信じているのだと思う。

 

 

あのコンサートの涙を見て「感動的だった」「感情を見せてくれて嬉しい」という人の感覚が、やっぱり私には分からない。いや、感覚は人それぞれだから、不正解はないし、私に何も言う権利がないのも知ってるし、そういう感覚の上に成り立っている世界だと思うし、何か物申したい訳でもない。

 

でも、私といつも語り合う友人のお母さんは、そのコンサートで泣いてしまう歌手が笑顔で話しているのを見ながら「悲しかったんだね」としみじみ言っていたらしい。彼について何も知らないのに。

 

私も彼は「すごく悲しかったんだ」と思ってる。